- 2026年2月16日
- 2026年3月23日
日本の精神医療の歴史

江戸時代以前の精神医療
日本における精神医療の歴史は古く、702年に制定された大宝律令にはすでに精神障害に関する記述が見られると言われています。
江戸時代の裁判記録を見ると「乱心」を理由に減刑となった事例が数多く残されています。減刑された「乱心者」には、入牢、入檻(私宅監置)、溜預(非人溜りに預けて非人頭に監護を任せる)といった処遇が行われていました。
犯罪行為とは関係のない精神障害のある方については、明治時代以前にも数か所の収容施設がありましたが、いずれも小規模なものでした。
私宅監置について
1900年(明治33年)に制度化されたのが「私宅監置」です。当時は精神科の病院や病棟が不足しており、苦肉の策として自宅内に専用の部屋を設けて患者を閉じ込め、行政(警察)が管理するという方法がとられました。中程度以上の収入がある多くの家庭がこの制度を利用していました。
「日本の精神医学の祖」である呉秀三について
呉秀三は1897年にヨーロッパに留学し、クレペリンの精神医学とピネルのフランス人道主義精神医学の影響を受けて帰国しました。その後、日本における精神障害のある方々の福祉向上に大きく貢献しました。
呉秀三は次のような言葉を残しています。「我が国十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸のほかにこの国に生まれたるの不幸を重ねるものと言うべし」
戦後の日本の精神医療
優生保護法(1948年)
戦後間もなく制定された優生保護法では精神疾患のある方やその親族に対して、優生手術(生殖を不能にする手術)や人工妊娠中絶が法的に認められていました。この法律は1997年の法改正まで続き、現在は母体保護法に改正され、精神疾患のある方に関する条項は削除されています。
精神衛生法(1950年)
1950年に制定された精神衛生法により、私宅監置が禁止されました。また、強制入院の判断を行うための精神衛生鑑定医制度が設立されました。
ライシャワー事件(1964年)
1964年、アメリカ大使のライシャワー氏が統合失調症の患者にナイフで刺されるという事件が起こりました。当時の精神病床数は入院が必要な患者数よりはるかに少ない状況でした。この事件をきっかけに政策誘導が行われ、1950年代から1970年代にかけて、精神病床は急速に増加していきました。
宇都宮病院事件(1983年)
1983年、宇都宮病院で看護職員らの暴行によって患者2名が死亡するという痛ましい事件が発生しました。この病院では「看護職員に診療を行わせる」「患者への虐待」「作業療法と称して院長一族の企業で働かせる」「死亡した患者を違法に解剖する」など、数々の違法行為が行われていました。
精神保健法(1988年)から精神保健福祉法(1999年)へ
1988年に制定された精神保健法では初めて任意入院が認められました。また、入院の妥当性について定期的に審査する精神医療審査会が設置されました。その後、1999年に精神保健福祉法となり、複数回の改正を経て今日に至っています。
このように日本の精神医療は長い歴史の中で少しずつ人道的な方向へと改善されてきました。現在もより良い医療と支援の実現に向けて、さまざまな取り組みが続けられています。
